青葉あおば
旧日本海軍の重巡洋艦。1927年竣工。1944(昭和19)年ルソン島西方でアメリカの攻撃を受けて損傷し、ほとんど非武装状態でどうにか呉まで帰投する。機関の修理が行われないまま呉工廠近くに係留されていた。昭和20年7月に最後の対空戦闘を行って被弾、艦尾を切断されてその場に着底した。
アッパッパ
夏物のワンピースのこと。簡易服とも呼ばれる。大正末期頃に誕生した。
海兵団かいへいだん
下士官(兵曹)や新しく入営した兵士の教育訓練をつかさどる海軍の部隊。各鎮守府に配置されている。
呉くれ
広島県西部にある軍港都市。戦艦「大和」を生み、日本海軍の要・東洋一の軍港として知られていた。灰ヶ峰など9つの嶺があるため、「九嶺(くれ)」と呼ばれるようになったという説がある。
工廠こうしょう
軍直属の軍需工場。兵器・弾薬などを製造した。
純綿じゅんめん
混ざりもののない木綿。昭和13年以降、綿糸や綿織物は「ステープル・ファイバー」(略称スフ)との混用が義務づけられた。スフは粗悪な化学繊維だったため、純綿製品は貴重とされた。
女子挺身隊じょしていしんたい
戦地に行った男性の代わりに、労働力として動員された女性たちのこと。昭和18年頃から各地で結成され、未婚・非学生・非就職者の女性が軍需工場などで働いていた。
千人針せんにんばり
武運長久を願って出生する兵士に贈られた、女性千人が一針ずつ糸を通し結びこぶをつけた布。これを身につけると弾に当たらないと言われていた。「虎は千里行って千里帰る」ことから、寅年生まれの女性は年齢の数だけ刺してもよいとされていた。
鎮守府ちんじゅふ
旧日本海軍で、所属海軍区を統括した機関。呉のほか、横須賀、佐世保、舞鶴の4港に置かれた。
伝単でんたん
米軍が空からまいた宣伝ビラ。爆撃の予告や、日本軍が各地で負けたことを知らせたり、降伏を呼びかけたりした。伝単を拾った場合は、読まずに届け出なければいけなかった。
楠公飯なんこうめし
炒った玄米を三倍の水に一晩浸けてから炊いたご飯を「楠公飯」と呼んだ。節米料理のひとつとして推奨されたが、流行らなかった。
入湯上陸にゅうとうじょうりく
軍艦の乗員は、艦が港に停泊中は数日ごとに外泊が許可されていた。
配給はいきゅう
米や砂糖など不足しがちな物資を公平に分けるためにできた制度。家族の人数によって量が決められていた。配給を受け取るには、専用の切符か通帳と現金が必要だった。
ミルクキャラメル
「森永」が発売するミルクキャラメルは、100年以上の歴史がある。1899(明治32)年にキャラメルの販売を開始し、1913(大正2)年に現在の形になった。幼いすずが買った当時は、「10粒入り5銭」のものと、「20粒入り10銭」のものが発売されていた。
迷彩塗粧めいさいとしょう
敵の標的にならないように白壁を黒く塗ってカモフラージュしていた。デパートや民間の住宅までもが迷彩塗粧を施した。
モガ
モダン・ガールの略。大正から昭和にかけて使われた言葉でハイファッションの女性のことを指した。ボブカットや引眉、クロッシェ(釣鐘型の帽子)が特徴として挙げられる。男性はモボ(モダン・ボーイの略)と呼ばれた。
大和やまと
1941年に竣工、排水量6万4000トンを誇る、旧日本海軍の超弩級戦艦。当時では世界最大級の戦艦だった。沖縄に出撃途中、米軍の攻撃を受け撃沈。この情報は当時発表されなかった。
隣保班りんぽはん
1940(昭和15)年につくられた地域組織。隣組ともいう。連帯責任制のもと、常会を開いて回覧板を回し、政府の通達や生活必需品の配給などを行っていた。
録事ろくじ
軍人や軍属を裁く特別裁判所の書記にあたる文官。